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庭    水守 聖



我が家にある、木漏れ日の差す庭が私の愛しい場所だった。
春の日は華やかな色を描き出し、夏の日は風に揺られきらきらと笑う。
秋の日は落ち着きある姿を見せ、冬はただ静かに祈る。
この庭は誰かの一生を見ているようで大好きだった。
そしてまた、ここで彼女と憩う瞬間も、私の愛しいものだった。
そんな庭に別れを告げるときが来たのは、突然だった。
この家は、庭は道路になるらしい。味気も色気もない、ただの黒い線になる。
私が守り続けた庭は、踏み荒らされるために消え去るのだ。
抵抗すれど私に覆す力はない。他者の生活をどうこう言うつもりもない。
だが、だからこそこの私のささやかな生きがいを奪われたくはないという、私の願いを聞き入れて欲しい。
彼女との思い出も、ここには詰まっているのだから……!


―――ねえ、見て!とってもきれいな花が咲いたの!
彼女が私を呼ぶ。本の続きが気になるところで止められ、少し面倒そうに立ち上がると頬を膨らまして 「もう!本は待っててくれるんだから早く早く!!」 と急かされる。花もそうすぐには変わらない、と心の中で口答えをしながら彼女の横に立つと、そこには白い花があった。
大きな花びらを付けて咲く花。花弁が大きいために少しの風ではそうそう動かない。
「これ、貴方みたい」
「え?どこがだよ?」
「他の花が揺れても自分はそこで自分の我を通すみたいなとこ!」
そんなことはない、と言い返そうとすると
「でも、そんなところが気に入っちゃったのよ…」
少し視線を外して言われ、私は用意していた軽口を不意に流れてきた強い風に飛ばされてしまった。
「この庭はずっと、僕が守るから。あなたが戻って来た時に、またたくさんの花と迎えられるように」
彼女は今にも涙をこぼしそうな瞳で笑顔を見せた。
約束したのだ。遠く、知らない国へ留学していく彼女に。遠い昔。
彼女の便りは毎月、花の写真の絵葉書で届いていた。
いつも体を気遣う内容とこちらは元気にやっているので心配しないでくれ、という内容だった。
楽しみにしていたそれは、二か月に一度になり、季節ごとになり、半年、……三年を過ぎた頃に、途絶えた。
いつまた居を変えるかが分からない彼女に返信は出来なかったが、受け取ることが私の返事となった。
彼女が戻ってこられるようにと、戻って来ても楽しんでくれるようにと。
あれから何年経ったのだろう。私の背は丸まり、髪は真っ白になった。
ただ一人、彼女を待った。
それが苦ではなかったのは、この庭があったからだったのだ。
悲しい、苦しい、それだけではない感情が体を駆け巡る。
私は、なす術もないままに壊されていく庭を見ていた。


「あの庭から、こんなものが出てきました」
工事業者が、私のもとへ駆けてくる。
錆びてしまった小さな箱。覚えがないが受け取る。
最初は誰かがいたずらで投げ込んでいたのかと思ったが、場所を聞けば彼女があの白い花を示した場所だという。恐らくは彼女が残したものだろう。
業者を帰し一人になり、はやる気持ちを抑え得つつ箱に手をかける。
土の中にあったため、開くにも時間がかかり、中の物がどんな状態かも分からない。
やっとの思いで開けた箱には手紙があった。

『ごめんなさい。
 私はあなたを、本当に愛しています。
 ですが、私には決められた方がいました。
 それを知ったのは、つい最近です。
 海外へ、というのもその方の仕事で同行するからなのです。
 ごめんなさい。貴方にこれすら伝えずに行く私を許してとは言いません。
 ひどい人間がいたと罵っていただいて構いません。
 どうか、貴方は幸せになってください。』

私が泣いているのか、時が経ちすぎていたのか。
彼女の署名は滲んで読めなかった。



私は、初めて土のない場所へ来た。
海沿いの高台だ。庭から吹く土と花の香りの風とは違い、しっとりとした、潮の香りがする風が私を包み込んでくれた。
海とはこんなに大きなものだったのか。 この先にいる彼女は元気だろうか。幸せであろうか。
足元には白い小さな花が風に揺れる。彼女が私に似ているといったあの花を思い出す。
風に立ち、堂々と花弁を開いていたあの花。
私はあの花と似ていて、けれど少し違うと記憶の中の彼女に言う。返事はない。
そっと目を閉じる。
あの頃大きな花弁を付けた花は今度こそ、風に従い空に舞った。

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