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あなたをを待っていた    常本 雷遠



遠くの山が灰色に飲まれていき、やがてこの辺りにも雪が降ってきた。
「今夜は冷えるから、こっちへ来て温まりなさい」
窓から外を見る私の背中に声をかける、愛しい人。
「ええ、眠る前に上掛けを用意しておきますね」
言いながら、炭を入れて温められた炬燵に寄る。熱した茶葉の香りが温かく迎えてくれる。
ふと見れば、彼もその温かな香りに包まれながら湯飲みを口にしていた。
「覚えているか?初めて会った日の事」
「ええ、こんな寒い日でしたね……」

  * * *
寒い、ただひたすらに寒い。
考えることはそれしかない。
春に大きな別れがあった。
それ以来家族も身寄りもなく一人になって、考えたいことも考えたくないことも、もう幾度も繰り返し考えてきた。
心は殻を作り、動かされることはなかった。
誰もいなくなるなら、誰もそばに置く必要はない。
心が殻を作ったのなら、真珠貝のようにその核を抜かれたらどうなるか、そんなことも飽きるほど考えた。
考えて、考えて……
変わるものは何一つない。
人とのかかわりを断ち、生きるということからも離れたくなっていた私は寒さの中で倒れこんだ。
倒れた先は、なぜか暖かいような気がした。

  * * *
私が一人になって、どれほどの時が流れていたのか。
後で聞いた話によると、その日は今日よりももっと寒い冬の日だったそうだ。
季節はいつの間にか冬になっていた。
そこまで憔悴していたことにも気づかなかった恐ろしさもあり、私は身震いした。
「大丈夫?」
「ええ、……」
「…僕はね、きっとあなたを待っていたんだ」
突然に、思いもかけない言葉を頂いたことで、私は彼の顔を見た。
穏やかな顔で、言葉が続く。
「僕は、ずっと一人だった。親の顔も、血縁者がいるのかも知らない。
 誰かが捨てていった人だった」
突然の告白に、私はただ黙って聞くしかない。
「そんな人間にね、手を差し伸べるものはいなかった。心を許した人にも、裏切られ続けた。
 あの雪の日、貴方を見たときにも…本当はそのまま、見なかったことにしようとしていたんだ。
 誰も手を差し伸べられない…このまま、生きる方が辛いんじゃないかとね。
 ……だけど、あなたの目が、姿が、どうにも忘れられなかった。
 虚ろな目で、ただ純粋に僕を呼んでいた気がしていた。
 それはもしかしたら、今の状態ではなく『見なかったことにした結果』の姿を求めていたのかもしれないけれど…
 ただ、僕はその姿に、僕が欲しかったものをあなたから奪う権利も、僕にはないと気付かされた」
外からの音はない。あるのはただ、あなたの声だけ。
「私が何を求めていたのかなんて、私にもわかりませんよ。虚ろでしたから」
暑さ寒さも分からない、何を考えればいいのかもわからないような状態で歩いていた私だから。
「……ただ、暖かかったことだけは、その暖かさが支えてくださらなければ、私は…」
そうなることも考えたし、それを望んでもいた。けれど。
「あなたが支えてくださったから、私はここに居られて。今、しあわせですよ。」
私は笑う。

「きっと、どこかであなたを待っていたんでしょう」

外は雪の降りやむ気配がない。少し風も出てきたような音がする。
けれど、私はもう、寒くはない。
夜闇でもわかるほど白くなりゆく窓の外を、たくさんの温かさに包まれて見ていた。


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