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嘘    水守 聖



空が晴れない日が続いている。
届いた手紙を読み終え、私は手元の珈琲を口に運ぶ。
柔らかく、どこか毒を含んだような苦みが口に広がる。
「…やはり、上手くはいかないものだな…」
目を伏せ、溜息をつく。
行きつけの喫茶店で分けてもらった珈琲豆だが、やはり素人の見様見真似ではあの店の味にはならなかった。
もう一口、運ぶ。
苦みに顔をしかめつつ、手紙の文面を思い出す。
先日調べていた地域の伝承についての考えをまとめ、研究会に送った記録の返信だった。
新しい伝承を見つけ、それを資料とともにまとめて提出していた。
返信は『貴方の考えは正しくない』、という内容。
過去の偉人の話を見ても、存命中には異端として糾弾され、その後随分と時が経ってから漸く認められる、という話は多い。
私の研究もそのように扱われる日が来るのだろうか。
仕方がないと、私は原稿返却希望の旨を伝える手紙を書いた。
思えばこの時点で、原稿が戻っていないことが妙だったのだが、この時点では些事でしかなかった。

その後も仕事をこなしながら原稿を待った。
ふた月が経った頃、地域伝承を研究していた界隈で大きな騒ぎがあった。
人づてに聞いた内容は、

あの時、私が研究成果を送った相手が見つけたという、私が書いた研究内容そのものだった。

目の前が暗くなる。あの手紙を受けた日の空など比べようもないくらい、重い暗雲が私の心を、視界を覆った。
原稿が手元にない以上、私に為せることはない。
興味を持ち、ずっと調べていた研究は私の手元を離れてしまった。
別人の手柄を立てるため、私は研究していたのだろうか。
研究が盗まれたことより、その研究がもう私の物ではなくなってしまったことへの絶望が、私を追い詰めた。
この曇天の下から、何とか這い出さなければ。
曇天の裏側には、きっとまた晴天が私を待っている。
私は必死に研究をしていた書斎へ戻ろうとする。心臓が早鐘を打つ。探さねば。私の新たな晴天の欠片を。
鍵のかかった引き出しを開ける。ペーパーナイフと気付け薬、そして暗号のように記した晴天の欠片ともいえる研究メモ……

そこから先の記憶はない。
灼ける様な痛みと、赤黒い海が私の見た最後のこの世の姿だった。

* * *

地域伝承の研究をしていた男が命を落とした数年後、一人の男がその研究から追放された。
研究に大きな発見をした後、その研究に関する取材に一切答えることが出来ず、答えたとしても矛盾が生じる回答ばかりを繰り返していた男。
不審に思った者たちが秘密裏に調査をした結果、研究そのものが不審な死を遂げた男のものだと証明されたのだ。
男の不審死、その原因は明らかにはならなかった。
しかし、その直前に彼が見たかった曇天の裏側は、時を超えて晴天をもたらした。
彼の残した晴天の欠片は、今日も続く研究の足掛かりになっている。




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